お誘いを受け!旅に出ました。金沢城公園の夜桜見物へ!
近江町市場の山さんで寿司を食べた後、雨も上がり金沢城公園へ夜桜見物に向かいました。
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趣のある路地を歩く、10分もしないでそれらしき場所にたどり着きました。只今の時刻7時。e0069615_23265016.jpge0069615_232765.jpg
満開の桜が出迎えてくれました。外堀ですか?桜が綺麗でテンションが上がります。e0069615_23272247.jpge0069615_23273813.jpg
金沢城公園の黒門口からの入城です。石垣が気になります?山形の森岡和尚様の影響?e0069615_23275455.jpge0069615_23281130.jpg
広場に出ました。周りに桜が見えます。前方の上の方にお城が見えました。行きましょう!
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わ~ぁ!綺麗だ、感激!の言葉しか見当たらない!内堀に映る夜桜もまた綺麗でした。e0069615_2328485.jpge0069615_2329520.jpg
戦国時代、一向一揆で本願寺門徒の拠点となった金沢坊を中心に寺内町が成立し、安土桃山時代に佐久間盛政が金沢坊を攻め落とした跡に尾山城を改築したのが、金沢城の始まりです。天正11年(1583)前田利家が領有するようになると、キリシタン大名で縄張りの名手高山右近の設計で築城されます。しかし1602年に天守閣が落雷で焼失。以後、天守閣は造られなかったそうです。江戸時代も加賀100万石と称される前田家の総本拠地として、城と町は大きく発展しますが、その後も火災で多くの建物焼失。現在残る石川門は天明7年(1787)に再建された物。明治維新後、兵部省(翌年から陸軍省)の管轄となり、大半の建物を失い、更に昭和24年(1949)に金沢大学の建物が城に置かれました。その為、長らく金沢城は石川門と、手前にある兼六園を観光出来る程でしたが、平成7年(1995)金沢大学が移転。復元工事が始まり、平成13年(2001)に菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓、平成23年(2011)には河北門、平成27年(2015)には橋爪門と玉泉院丸庭園が復元しました。e0069615_2329219.jpge0069615_23303471.jpg
夜なのにこんなに綺麗に(ライトアップされてるせいも有りますが)桜が見られます。e0069615_23305516.jpge0069615_23311089.jpg
石垣のルートが用意されています。①石川門石垣②内堀石垣③橋爪門続櫓石垣④二の丸北面石垣⑤土橋門石垣⑥数寄屋敷石垣⑦色紙短冊積み石垣⑦戊亥櫓石垣⑧三十間長屋石垣⑨鉄門石垣。夜で見えませんでした。右の写真がが橋爪門です。e0069615_23312697.jpge0069615_23314089.jpg
河北門でしようか?暗い門より綺麗な桜が勝ってます。とにかく桜が綺麗でした。e0069615_2331561.jpge0069615_23321445.jpg
もう7時45分を過ぎました。もう真っ暗です。でも人出はまだいっぱい居ました。e0069615_0153244.jpge0069615_0155879.jpg
金沢城では、前田利家の入城後、本格的な石垣づくりが始まりました。出入り口や庭園と言った場所に応じて、特殊な技術やデザインが工夫されたこと、また何度も修復が繰り返されたことなどから、現在、様々な種類の石垣を見ることが出来ます。暗くて見えにくいですが、兼六園との間に、「玉泉院丸庭園」が有ります。加賀藩三代藩主「前田利常」による寛永11年(1634)の作庭を始まりとし、その後五代「綱紀」や十三代「斉泰」などの歴代の藩主により手を加えられながら、廃藩時まで金沢城内玉泉院丸に存在していた庭園です。城内に引かれた辰巳用水を水源とする池泉回遊式の大名庭園で、池底から周囲の石垣最上段までの高低差が22mもある立体的な造形だったそうです。
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by van-shop | 2016-04-18 23:54 | | Comments(0)
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